この記事の最終更新日は 2019年10月3日 です。現在は状況が異なる場合がありますので予めご了承ください

元景寺を後にし、次に向かったのは
天台宗 光巌寺。

 

総社町公民館のすぐ近くで
ここにお寺があることは知っていたのですが
お寺に名前も知らないし、入るのも今回が初。

 

立派な楼門ですが、

 

入口はその左側の長屋門。

 

スタンプ台は門の中にありました。

 

前橋市の歴史散策ガイドブック
があったので、いただいてきましたよ。

 

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光巌寺について

 

天台宗光巌寺の文化財

慶長12年(1607)総社領主秋元越中守長朝侯は、
総社城と城下町を完成させ、元総社の徳蔵寺を移し
光巌寺を開基された。

山号は秋元氏の姓、院号は長朝の江月院殿より、
寺号は長朝の母の光巌院殿よりよれぞれつけられ、
秋元山江月院光巌寺として秋元氏の菩提寺とした。

本尊は釈迦牟尼如来座像。

寛永3年(1626)将軍秀忠より寺領御朱印高30石を賜り、
慶安2年(1649)家光より徳蔵寺(隠居寺)の
御朱印高16石を合わせ46石を支配してきた。

現在の建造物は本堂(文政3年)、
秋元家御廟所(文化9年再建)、庫裡(文化10年)の再建、
長屋門(天明5年5月建立)、楼門(文化年間)・薬師堂・
元三大師堂・鐘楼(明和9年)等が並び建ち、
天台宗地方寺院(修行寺)として僧侶の養成の役目を果たしてきた。

寺内の廟所前には県指定史跡の「力田遺愛碑〔安永5年(1776)〕」、
南北朝期の東覚寺七重多層塔・薬医門(市指定重文)の外
10数点の文化財が収蔵されている。

墓地には明応4年(1495)造立の石幢(市重文)が保存されている。

平成18年3月吉日 総社地区史跡愛存会

 

力田遺愛碑って、光巌寺にあるんですね。

 

今回は見ずに帰ってきてしまいましたが
レプリカならすぐ近くの前橋市総社歴史資料館で
間近に見ることができます。