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タグ:四公スタンプラリー

群馬会館で行われた
第4回前橋四公祭へ行ってみると

玄関の前には前橋四公デザインの
タクシーが置いてありました。

 

群馬会館1階広間へ入ってみると、
人がほとんどいない・・・。

ちょうどこの時間
2階ホールで創作劇が行われてまして
皆さんそちらへ行かれたもよう。

 

会場では無料呈茶が行われたり(飲みませんでしたが)
4家にまつわる文化財が展示されていました。

 

こちらには前橋城主 酒井公の茶釜

 

御手杵の槍(複製)

 

貴重な茶碗のようですが、私にはさっぱり(^-^;

 

そして今回の目的であるスタンプをぽちっと。

 

四公スタンプラリーの四公御廟所六寺社巡りは
残すところ養林寺と孝顕寺のふたつ。

 

孝顕寺は朝日町なのでさほど遠くはないのですが
養林寺となると大胡町なので、ちと遠い・・・。

 

でも、たまには遠出もしないとなぁと思い
とりあえず目指してみます。

 

県道3号線

 

桃ノ木川を渡ります。

 

上武道路の下を通過。

 

県立心臓血管センター前

 

さらに進みまして、堀越町南交差点を
道なりに直進。

 

堀越町の信号を左折し
大胡中学校の前を通ります。

 

で、何とか到着。

やっぱりこのお寺かぁ。

以前、大胡城・牧野氏まつりで
一度来たことがりました。

 

スタンプ台があるのは本堂の前。

 

参拝して、ポチっと。

 

そして、その帰りに孝顕寺へ。

 

本堂の前に、ぽつんとスタンプ台が。

 

これで、四公御廟所六寺社のスタンプはコンプリート。

 

スタンプラリーをしながらのサイクリングも
楽しいものですね。

 

四公スタンプラリー、続いては
前橋市紅雲町の龍海院。

 

四公御廟所六寺社の中で一番自宅に近い場所。

でも、訪れるのは今回が初めて。

 

山門も立派で、山門正面南に増長天王像

 

そして北側には毘沙門天王像

 

龍海院は前橋藩主酒井氏歴代の墓所で
初代藩主重忠公から十五代藩主忠顕公までの墓があります。

 

スタンプの場所も初代藩主重忠公夫妻の
お墓のところに設置されてました。

 

ポチっと押して、四公御廟所六寺社巡りはあと二つ。

 

元景寺を後にし、次に向かったのは
天台宗 光巌寺。

 

総社町公民館のすぐ近くで
ここにお寺があることは知っていたのですが
お寺に名前も知らないし、入るのも今回が初。

 

立派な楼門ですが、

 

入口はその左側の長屋門。

 

スタンプ台は門の中にありました。

 

前橋市の歴史散策ガイドブック
があったので、いただいてきましたよ。

 

スタンプをポチっと

 

光巌寺について

 

天台宗光巌寺の文化財

慶長12年(1607)総社領主秋元越中守長朝侯は、
総社城と城下町を完成させ、元総社の徳蔵寺を移し
光巌寺を開基された。

山号は秋元氏の姓、院号は長朝の江月院殿より、
寺号は長朝の母の光巌院殿よりよれぞれつけられ、
秋元山江月院光巌寺として秋元氏の菩提寺とした。

本尊は釈迦牟尼如来座像。

寛永3年(1626)将軍秀忠より寺領御朱印高30石を賜り、
慶安2年(1649)家光より徳蔵寺(隠居寺)の
御朱印高16石を合わせ46石を支配してきた。

現在の建造物は本堂(文政3年)、
秋元家御廟所(文化9年再建)、庫裡(文化10年)の再建、
長屋門(天明5年5月建立)、楼門(文化年間)・薬師堂・
元三大師堂・鐘楼(明和9年)等が並び建ち、
天台宗地方寺院(修行寺)として僧侶の養成の役目を果たしてきた。

寺内の廟所前には県指定史跡の「力田遺愛碑〔安永5年(1776)〕」、
南北朝期の東覚寺七重多層塔・薬医門(市指定重文)の外
10数点の文化財が収蔵されている。

墓地には明応4年(1495)造立の石幢(市重文)が保存されている。

平成18年3月吉日 総社地区史跡愛存会

 

力田遺愛碑って、光巌寺にあるんですね。

 

今回は見ずに帰ってきてしまいましたが
レプリカならすぐ近くの前橋市総社歴史資料館で
間近に見ることができます。