カテゴリー:歴史

臨江閣では、令和元年度に前橋市内で行われた
発掘調査の成果が展示されています。

 

場所は、臨江閣別館1階西洋間。

 

主な遺物展示物は
推定上野国府、元総社蒼海遺跡群、上細井中西部遺跡群、
西部第一落合遺跡群などから発掘された150点が展示。

 

こちらは地元
元総社蒼海跡群から発掘された銅鏡など。

 

縄文時代から近世に至る出土遺物のほか、
墨で文字などが書かれた土器や
平安時代の銅銭 皇朝十二銭などといった
貴重な遺物を間近で見ることができます。

 

11月23日まで開催していて
時間は9時~17時までですが
入館は16時30分までとなっています。

月曜休館(祝日の場合は開館し、翌平日を休館)

 

興味のある方は
お越しになってみてください。

 

高崎市上滝町の高歴史民俗資料館は
かつて群南村役場庁舎として使われていました。

 

この建物が建設された昭和33年頃は
庁舎や学校が鉄筋コンクリートで
建てられるようになった時代だそうで

そのような時期に、木造の大型建造物が
建設されるのは珍しいのだとか。

 

その歴史的にも希少価値の高い建造物が
今年8月に国登録有形文化財に登録されました。

 

それを記念した企画展が
歴史民俗資料館で開催中です。

 

こちらが会場。

 

旧群南村役場庁舎の棟札や設計図
群南村全図などが展示されています。

 

電話室もありまして

 

そこには、デルビル磁石式壁掛電話機

明治29年から昭和49年頃まで使われていた
初めての磁石式電話機だそうです。

 

なかなか興味深い企画展でした。

 

会期は11月1日(日)までで
開館時間は午前9時~午後4時

休館日は月曜日

入館料無料です。

 

発掘情報館。

 

こちらで「ぐんま古墳カード」を配布しているのですが
その前に手指の消毒と「健康状態申告書」の記入。

お出かけ前の検温をお勧めします。

 

そして、南下E号古墳の古墳カードを
いただいてきました。

ぐんまオリジナルデザイン

 

これでぐんま古墳カードは3枚目、

でも、もうこれまでかな。

 

ちなみに資料展示室では
現在、金井東裏遺跡に関するものを展示中。

 

ぐんま古墳カードサイクリング、
続いて向かうのは吉岡町にある南下E号古墳。

 

県道15号、吉岡バイパスを走りまして

 

中島交差点を左折

 

関越自動車道の下を通って

 

しばらく進むと、右前方に
老人福祉センターの看板があるので
その道を入ります。

 

するとその先にも看板がありまして
その下に南下古墳群への案内標識もあるので
そこを左折します。

 

その先の交差点を左折すると

 

右手に広い駐車場。

 

南下E号古墳は道路を挟んだ向かい側。

 

草ボーボーなので、最初わからなかったです。

 

南下E号古墳ってこういう感じなのかぁ。

こんなこと言ったら失礼かもしれませんが
古墳に見えない。

 

石室の中は立ち入り禁止。

入れたとしても、入る気がしない・・・。

 

南下E号古墳の解説がありましたので

 

読みやすいように?書き起こしてみました。

南下E号古墳

 本古墳の所在する丘陵は、13,000年程前に
相馬山が山体崩壊を起こした際の流山(陣場岩屑流)
と考えられている。

この丘陵上を中心に付近一帯には
かつて40基を越える古墳が存在し、
7世紀代を中心とする一大古墳群を形成していた。

現在その数は10基程にまで激減しているが、
本古墳から半径約100mの内に7基の古墳が群集し、
当時の面影を僅かながらも残している。

 本古墳は先の丘陵東南斜面に構築された
山寄せ形式のものである。

墳形及び規模は、現状で東西約17m、南北約9m、
高さ2mの円墳もしくは方墳と考えられている。

墳丘における葺石(ふきいし)の有無は不明だが、
埴輪片は一片たりとも確認されていない。

 石室は、截石切組積(きりいしきりくみづみ )の両袖型石室で、
南西に向かって開口している。

玄室はほぼ完全であるが、羨道部分は天井石を失い
側壁も上部を欠いた状態で、大半は土砂で埋没している。

石室構造から見て、古墳南面には前庭が存在する可能性が高い。

現状での石室規模は、玄室長2.76m、同奥壁幅2.13m、
高さは奥壁部分で1.71mである。

 石室石材は壁体に二ツ岳噴出の角閃石安山岩を使用し、
天井石には硬質の安山岩自然石を用いている。

側壁は長方形に加工した石材を四乃至五段に、
奥壁は三乃至四段に積み上げ、その大部分に
切組の手法を用いている。

壁面には10度前後内傾する、所謂転びが見られる。

玄室と羨道の境には加工石材を二段積みにした
精巧な玄門を有している。

 本古墳で特筆すべきことは
玄室に壁面に残った朱線の存在である。

これは、截石切組の工法と関連した作業線と考えられるもので、
本古墳のほか南下A号古墳、富士見村上庄司原4号古墳
でのみ確認された極めて例の少ないものである。

 古墳の年代は、石室の企画や構造
或いは石材に加工法等から見て、
7世紀末葉の構造で、南下A号古墳より
若干新しい時期のものと考えられる。

平成八年三月三十一日

吉岡町教育委員会

 

かつてこの場所は、一大古墳群だったのかぁ。

 

ちょっと散策してみます。

 

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