- 投稿 2021/10/04更新 2021/10/04
- 高崎市
高崎駅向かう途中、
長野堰用水のところに来まして、
そういえば、ここを左に曲がったことなかったなぁ
と思い、探検がてら行ってみることに。
長野堰は、高崎市中部に
農業用水を供給する用水路。
ここに来るのは2度目。
以前来たときは、もう少し
地味な印象だったような気がするのですが
今ではキレイな解説が設置されてます。
高崎の街は、一級河川烏川と井野川に挟まれていながら、
台地状の地形のために「水」には恵まれていませんでした。
この、不毛に近い高崎台地を「水」で潤し、農業生産や
市民生活に基礎を築いてくれたのが、一級河川烏川を水源
とする長野堰用水です。
開削の歴史は古く、今から一千年以上前と伝えられ、戦国時代の
箕輪城主 長野業政(ながの なりまさ)公が現在の形をつくったと
言われています。
このことは、長野堰用水沿いで
数多く発掘された平安時代の
水田遺構からも裏付けられています。
(長野堰を語りつぐ会)
「長野業政」と書いてありましたが
「長野業正」じゃないのかな?
概要
長野堰は、高崎市本郷町地内の利根川水系烏川より
取水する頭首工を起点とし、受益面積約400ha、取水量最大6.797㎥/s。
幹線水路は、円筒分水堰まで約9km、かんがい用水として利用される他、
高崎城址のお堀の水、環境美化用水、防火用水等に寄与しています。
この円筒分水堰は、1962年(昭和37年)に
県営幹線水路改修事業の一環として設置された分水施設で、
自然落差を利用して、地獄堰、鳴上堰、矢中堰、
倉賀野堰に4堰に正確に受益分配されるよう設計された、
全国でも珍しい分水施設です。
かつて水利の乏しい本地域では、
干ばつのたびに激しい水争いが起きましたが、
円筒分水堰が設置されてからは、争いは落ち着きました。
地獄堰の名は、激しい水争いの名残でしょうか。
2016年(平成28年)国際かんがい排水委員会(ICID)において、
長野堰用水が建設から100年以上が経過し、
かんがい農業の発展に貢献したもの、
卓越した技術により建設されたものなど、
歴史的・社会的価値のある
かんがい施設として、世界かんがい施設遺産
の登録となりました。
なるほどねぇ。