この記事の最終更新日は 2020年8月26日 です。現在は状況が異なる場合がありますので予めご了承ください

ぐんま古墳カードサイクリング、
続いて向かうのは吉岡町にある南下E号古墳。

 

県道15号、吉岡バイパスを走りまして

 

中島交差点を左折

 

関越自動車道の下を通って

 

しばらく進むと、右前方に
老人福祉センターの看板があるので
その道を入ります。

 

するとその先にも看板がありまして
その下に南下古墳群への案内標識もあるので
そこを左折します。

 

その先の交差点を左折すると

 

右手に広い駐車場。

 

南下E号古墳は道路を挟んだ向かい側。

 

草ボーボーなので、最初わからなかったです。

 

南下E号古墳ってこういう感じなのかぁ。

こんなこと言ったら失礼かもしれませんが
古墳に見えない。

 

石室の中は立ち入り禁止。

入れたとしても、入る気がしない・・・。

 

南下E号古墳の解説がありましたので

 

読みやすいように?書き起こしてみました。

南下E号古墳

 本古墳の所在する丘陵は、13,000年程前に
相馬山が山体崩壊を起こした際の流山(陣場岩屑流)
と考えられている。

この丘陵上を中心に付近一帯には
かつて40基を越える古墳が存在し、
7世紀代を中心とする一大古墳群を形成していた。

現在その数は10基程にまで激減しているが、
本古墳から半径約100mの内に7基の古墳が群集し、
当時の面影を僅かながらも残している。

 本古墳は先の丘陵東南斜面に構築された
山寄せ形式のものである。

墳形及び規模は、現状で東西約17m、南北約9m、
高さ2mの円墳もしくは方墳と考えられている。

墳丘における葺石(ふきいし)の有無は不明だが、
埴輪片は一片たりとも確認されていない。

 石室は、截石切組積(きりいしきりくみづみ )の両袖型石室で、
南西に向かって開口している。

玄室はほぼ完全であるが、羨道部分は天井石を失い
側壁も上部を欠いた状態で、大半は土砂で埋没している。

石室構造から見て、古墳南面には前庭が存在する可能性が高い。

現状での石室規模は、玄室長2.76m、同奥壁幅2.13m、
高さは奥壁部分で1.71mである。

 石室石材は壁体に二ツ岳噴出の角閃石安山岩を使用し、
天井石には硬質の安山岩自然石を用いている。

側壁は長方形に加工した石材を四乃至五段に、
奥壁は三乃至四段に積み上げ、その大部分に
切組の手法を用いている。

壁面には10度前後内傾する、所謂転びが見られる。

玄室と羨道の境には加工石材を二段積みにした
精巧な玄門を有している。

 本古墳で特筆すべきことは
玄室に壁面に残った朱線の存在である。

これは、截石切組の工法と関連した作業線と考えられるもので、
本古墳のほか南下A号古墳、富士見村上庄司原4号古墳
でのみ確認された極めて例の少ないものである。

 古墳の年代は、石室の企画や構造
或いは石材に加工法等から見て、
7世紀末葉の構造で、南下A号古墳より
若干新しい時期のものと考えられる。

平成八年三月三十一日

吉岡町教育委員会

 

かつてこの場所は、一大古墳群だったのかぁ。

 

ちょっと散策してみます。

 

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